― 3―


昼に近い時刻に、やっと目が覚めた。
汗でパジャマがべとついて張り付いている。気分は良い。熱は下がったようだ。
シャワーを浴びると、一時滅入る事柄も忘れられた。すっきりした気分で髪を拭きながら飲み物を取りにいく。
冷蔵庫からミネラルウォーターをだす。と、飲みながら、ふとガスコンロの上にある鍋を見つけ、首をかしげた。整理整頓はきちんとする方だ。調理器具は昨日出かける前に全てしまった筈だ。

そろそろと鍋を開ける。中にはニラ、もやし、人参、竹の子、しいたけ・・・。

「野菜スープ??」

 自分が作った覚えは無い。という事は昨日の来訪者。その内蛮と銀次にその暇があったと思えない。とすると。

「赤屍?」

 そうだとすれば。と蓋を閉めてきょろきょろと辺りを見回す。あの妙な所で、律儀で几帳面な男のことだ。何か――
 思惑通り、卑弥呼はテーブルの上に置手紙を見つける。
 
 「失礼ながら、勝手に材料と器具を使って作りました。宜しければ召し上がってくださいv」

 均整のとれた字の最後にはしっかりと、ハートマークが書いてあった・・・。
 流し台にも、流しの横のボックスにも調理器具は無い。作った後なんと洗い物までして帰ったらしい。
 ため息をつく。考えられないことだ。冗談でさえ思いつかない行動。あの赤屍が誰かのために料理を作るなんて。あのDrジャッカルが他人の家で洗い物だなんて。感動より先に、不可解の感に襲われるのは仕方のない事。
 なぜあの男は自分に破格の扱いをする。なぜこんなにも自分の世話を焼く。
 過ぎた気遣いに、きりきりと真綿で首を絞められているような息苦しささえ感じる。

 あの男は何を考えて料理を作って、後始末までしたというのだろう。

 自分は。自分はその優しさに、何を、どう返したら良いのだろう。
 
 
 何故か追い詰められているような気分に陥っていると、チャイムが来客を伝えた。
 卑弥呼は思考を切り替える。こんな真昼間から来る客は・・・。

「銀次でーす!ひみちゃん。約束通りお見舞いに来たよーー!!」

 予想通り能天気な声だった。扉を開けると、やっぱり見知った金髪の青年がいた。しかしその青年の様子に卑弥呼は眉をしかめる。

「・・・・・・・・何やってんの?」

 銀次はしげしげと扉を見ていた。

「いやぁこの扉直ってるなぁ、と思って。昨日蛮ちゃんがぶっ飛ばしたはずなんだけど」
「えっ?」

見るとたしかに扉の中央が少し凹んでいる。そういえば昨日蛮達が登場する前に大きな音が聞こえたような。

「ちょっといい?」

 銀次が扉を引いて、家の内側の面の扉をみる。

「ああやっぱり〜!こっち側から殴った後がある〜!おかしいと思ったんだ蛮ちゃんが殴った後ってもっと強烈だったもんねー!外側からの凹みを内側から殴って戻したんだね!」

 一人納得といった様子で喋った後、ニッコリと邪気の無い笑顔を向ける。

「で?これ卑弥呼ちゃんが殴って直したの?」

 ポカリと銀次の頭を殴る。

「私じゃないわよっ!!」

 銀次は頭を抑えて「うぅ。この威力なら十分直せるよ〜」と呟くが、卑弥呼の視線で口を控える。

「えっと、じゃあ誰が?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「えぇっーと、ええっーと。・・・・もしかしたらジャッカルさん?」
「でしょうね」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

 あの殺人狂が他人の家の扉を直す。というか蛮が吹っ飛ばしたはずだということは、日曜大工さながら建て付けも・・・。

「しっしししし親切なんだね!赤屍さんって!」
「もはや親切というか、薄気味悪いというか気持ち悪いというかお化け屋敷より怖いというか・・・」
「わっわっ、駄目だって卑弥呼ちゃんそんな事いっちゃ!」

 言いながら銀次の顔は全力で引きってつっている。卑弥呼は額を押さえながら銀次を家の中へ通した。二人とも精神的ダメージによろよろと廊下を歩く。
 リビングに着いた銀次はきょろきょろそわそわとする。

「・・・赤屍ならいないわよ」
「そっ、そっか」

 どもっている。ただでさえ苦手な相手なのに、たった今精神的ダメージをうけた後では会いたくいのも無理はない。というか卑弥呼も今日どんな顔をして会うか悩むところだ。明らかにホッとした表情を見せた後、慌てたように心配そうな顔で「ごめん!ひみちゃん熱はどう!?」と尋ねる。訪問の趣旨としてそれが一番肝要だったはずだが、扉の一件で吹き飛んでいたらしい。

「もうとっくに下がっているから、気遣いは無用よ」
「そっか良かったー♪あっでもこれ一応お見舞い品。フルーツと、えっとあと波児が作った対風邪用特製ドリンク!」
 はい!と銀次は小さめながら見舞い用の籠を渡す。思わず怪訝な顔をしてしまう。

「あんた達の赤貧財政で、よくこれが買えたわね」
「うん!俺達の全財産と、波児とか夏実ちゃんとかレナちゃんに協力してもらったから!」
「全財産って・・・」

 卑弥呼が呆れたような、困ったような声をあげた直後、きゅるる〜と銀次の腹の音が鳴った。銀次はいかにも、しまった!という顔をする。

「気にしないで、いつもの事だから!!」

 ぎゅるるるるうぅぅぅ〜〜。
 
胃袋どころか、内臓全体を震わせたような音が鳴った。
 ああ・・・。と紅くなる銀次に苦笑する。

「野菜スープならあるわよ?食べていきなさいよ」
「・・・ドウモスミマセン」
 
 銀次は縮こまってタレる。卑弥呼はスープを暖めて自分と銀次の分を皿に取り分ける。
 スープの量は料理を作った本人の基準ゆえに、二人分よそってもまだ余りある。他に銀次の持ってきたフールツも剥いてしまう。テーブルに置くとぱあっと銀次の顔が輝く。


「わぁい!ご飯だー!!こんなまともな食事、半年ぶりだよぉ!!」

 相変わらず奪還屋は半ホームレスな生活をおくっているらしい。

「大丈夫だからね。卑弥呼ちゃん!たとえ微生物が死に絶えるような味でも、俺レナちゃんの料理で慣れてるから!どんなのでも完食できるよ!!」
「殺されたいのかしら」

 長い付き合いが仇になる。火炎香をだした卑弥呼を見て、銀次も失言に気づく。あははっと笑いながら焦ってスプーンを手にとった。

「いっ、いただきまーす!」


 ぱくり。

 かっ!と背景に稲妻が落ちた。

 銀次は驚愕する。

「ひみちゃん・・・・・・!!!どうしたの、これ??・・・すごく・・・・・・・・・・・・すごく美味しいんだけど!?」

意外だといわんばかりに、がつがつがつと食を進める。あまりといえばあまりの反応に卑弥呼はムッとしながら正直に答えてやる。

「それ、赤屍が作ったスープだから」


 ぷはっっっっ。
 銀次は吹いた。それでも、器用に皿の中にぶちまけるように丁寧に拭いた。どんな不測の事態でも貧乏性がでるのが涙を誘う。

「ああああああ赤屍さんの??」

銀次は今度はおそるおそるスプーンを口に運ぶ。

「・・・毒とか入ってないよね。これ」

「・・・多分ね」

 スピードを落としながらも食事を再開する。卑弥呼はそれでも食うのね、と銀次の食い気に密かに感心した。
 銀次がスプーンをくわえながら、上目使いで話しかける。

「なんかさ。赤屍さんにすごく愛されてるんだね。卑弥呼ちゃん」

 今度は卑弥呼が吹き出しそうになる番だった。
 あやうく止めながら、銀次に噛み付く。

「はぁっ!?ちょっと何言ってんのよ!!」
「だってさぁ。赤屍さんが他人のために料理を作ってくれるとか、看病するとか。赤屍さんの性格からしてそうそう考えられないよ?」
「あんたよく看病されてなかった?」
「・・・いや俺は例外として」
「例外じゃないわ。あいつは極端な男よ。興味が無いとさっぱり相手にしないけど、その反動に興味がある相手には強い執着を示す。それに、あんただって覚えがあるでしょう?あいつは強い奴がより強くなるように手を貸すこともあるわ。――それを楽しみにすらしている節もある。私はブゥドゥーチャイルドだから・・・」

「卑弥呼ちゃん」

声の調子が変わった。スプーンを置いて、銀次はまっすぐな視線を向ける。その静謐な眼差しに全てを見透かされそうでたじろく。

「俺が言いたいのはね。赤屍さんの感情じゃない。問題なのは今付き合っている人に優しくされているのに、君が辛そうな顔をしていること」

 言葉が胸に刺さった。
 銀次は顔を歪ませた卑弥呼を静かに見つめながら、穏やかに言葉を繋ぐ。

「蛮ちゃんはね。昨日凄かったんだ。血相かいて『ひみこぉぉおお』って叫びながら新宿中の店走り回ってね」

 目を少し伏せて、昨日の事を思い出すように微かに笑う。

「昨日帰った後から、蛮ちゃんすごい落ち込んでる。言葉で言わないけど自分を責めてる。蛮ちゃんはすごく心配しているよ。ひみちゃんのこと。」

 再び湖の底のような瞳を卑弥呼に向ける。その瞳には全く攻撃の意思は無い。けれど確実にその瞳は人の心の核を捉える種類のもの。
 卑弥呼はその眼差しに対抗するようにキッと睨む。




「ねぇ卑弥呼ちゃんは本当に、赤屍さんの事が好きなの?」




ずんっと再び心を揺さぶられた。

そんな、そんな訳がない。私が今も好きなのは――。



動揺。



 そしてヘヴンに責められた時のような、理不尽な怒りがふつふつと沸き爆発する。

「勝手な事言わないで!!」

 ドンッと拳でテーブルを叩く。射殺すように銀次を見る。

「何も知らないくせに、ヘラヘラと・・・!!帰って!!」
「卑弥呼ちゃん・・・」
「出ていって!!!」
「・・・わかったよ。ひみちゃん」

 銀次は立ち上がって玄関に向かう。途中卑弥呼の方を向いて「ごめんね」という声を聞いた気がしたが、無視した。
 だが扉を閉める音を聞いてから後悔が沸く。もう一度テーブルを叩き、勢いに任せて銀次に当たったことに自己嫌悪する。
 何をやっているんだろう。自分は。と責めながら、耳に銀次の声が残って離れない。

『赤屍さんにすごく愛されてるんだね。』

 愛?なんて自分達の関係にはほど遠い言葉だろう。
 私達はお互いに利害が一致して契約を結んでいるだけだ。相手に対する愛だとか情だとか、そんなものは一ミリたりとて入る隙はない。
 それなら・・・。それも良いかもしれない。自分はある特定の人間一人に対する強い執着がどれほどのリスクを伴うものか、どれほど振り回されるのか骨身にしみているのだから。
 問題なのは赤屍と自分と、相手に与えられるもの量があまりにも差があること。情けないが自分は今赤屍に、ただただ与えられ続けている。

『その代わり貴方の力が100%解放された場合。もしくは私が貴女を、貴方が私を。どちらかかが相手を見限る場合、その場合に私と本気で闘って頂く。無論命をかけて』


 あの男自身は、見返りは本気の死闘――すなわち自分の命で良いった。それまでは諾々と与えられ続ければ良いという振る舞いをする。
 けれど、そんな事で良いはずが無い。自分の自尊心だって許さない。与えてくれているものに見合うものを、自分は命の他に何か差し出すべきだ。そうでなければ、いたたまれなすぎる。

 しかし何を。自分はあの男に与えられると言うのだろう。

 どれほど考えても答えは得られない。卑弥呼は苛立ちをまぎらわそうと、テーブルの上を片付け、食器を重ねて洗い場に運ぶ。水の蛇口を全開にし、八つ当たりのようにごしごしと必要以上に力を入れて洗う。

『赤屍さんの事が本気で好きなの?』

 再び銀次の声がリフレインし、さらに手に力がこもる。
 舐めるなと言いたい。自分がどれほどの時間、どれほどの想いをあの男に抱いていたと思うのか。

 すぐ忘れられる想いなら、自分はこんなに辛くなかった。これから先あの男以上に想う人間なんているはずがない・・・
 
 何かに耐え切れなくなって、最後の皿を落とす。がたんっと流しの中で皿が割れる。始末する気も起きず、洗い場に背を向ける。
 ふと側に置いてあった籠が目に留まる。先ほどまでフルーツが盛ってあった籠の中も今は小さい水筒しか残っていない。

『・・・えっとあと波児が作った対風邪用特製ドリンク!』

 あれか。と思いながら水筒を手に取る。ちょうどの喉も渇いたので蓋をあけ、口をつける。
 途端、鼻腔を擽る覚えのある香りに驚く。
 レディポイズンの名は伊達ではない。 嗅覚は一般人より遥かに鋭い。
 動きを止め、水筒を凝視する。

 この匂い。

 とても飲み物だと思えないこれは・・・。

 フッ。と緊張した顔から笑みが零れる。

「・・・今回はちゃんとカッコンもマオウも入ってるじゃない」




 脳裏にある過去の像が結ばれた。



 

 それは愛しい。優しくて、切なくて、忘れえぬ記憶。


□     ■     □








 あの日は邪馬人が外出していて、蛮と卑弥呼が2人っきりで家にいた時だった。

 急に熱を出して倒れた卑弥呼を、蛮はあわてて引きずるようにベッドに運んだ(まだあの時は自分の方が背が高かったはずだ)そしてあたふたと看病を始めた。
 まず集まるだけ集めた毛布を持ってきた。その一分後にアイスノン。さらに一分後に冷たいタオルを持ってきた。しかしそれからは、15分たっても蛮は一向に姿を見せなくなった。15分から、20分。20分から30分たっても蛮は戻って来ない。

 自分はもう放っとかれてしまうのだろうか。傍にはいてくれないのだろうか。
 熱に浮かされ酷く心細い気持ちで、いや、もしかしたら蛮は自分を置いて、何処かに行ってしまったのかもしれないと思う。

 自分は蛮に置き去りにされた――。 

 熱のせいとは違う寒気が襲い掛かってくる。
 どうして一人にされるのだろう。自分は嫌われてしまったのだろうか。
 もう自分はどうなっても良いんだろうか。だから、誰も、いないの?
 どうしよう・・・!!それは、とてもとても寂しい。

 どうしたら・・・。

 シーツを毛布をギュッと掴んで、怯えをにじませ震える声で「蛮・・・!」と呼ぶ。
 その時派手な音を立て扉に殴りこむようにして、蛮が走りこんできた。

「卑弥呼!やっと出来たぞ!!蛮様特製パーフェクト風邪ドリンク!!」

 蛮の姿にとても安心する。
 良かった。何処にも行ってなかった。

「何ニヤニヤしてんだ?おいっ喜べ!今飲ませてやるから!」

 得意満面の顔で卑弥呼を起こして、コップを渡す。渡されたコップの暖かさにふれて「ありがとう」と言いながら飲み干す。

「どうだ。勿論最高だろ!」
「・・・最低ね。不味すぎるわ」
「何ィィィィイ?嘘言うな。俺が一時間もかけて作った作品だぞ!!」
「何が嘘だって言うのよ!長ネギ、生姜、はちみつ、日本酒、レモン、卵、大根、砂糖、ワイン、それにヤモリと蝙蝠の内臓なんてなんで入れてんのよっ!!」

 卑弥呼は匂いを嗅げば何が入っているかわかる。どうやら蛮はその膨大な知識量から、風邪に効く食材全部混ぜて作ったらしい。

「うるせぇ!葛根と麻黄が無かったから代わりにいれてやったんだよ!!」
「どこがどう代わりになるって言うのよ!!ってか、あんた調合室勝手に入ったわねぇ!!」
「お前のためだろうが!!つべこべ言うじゃんねぇ!!」
「アホ抜かさないでよ!!あれ整理するのにどれだけ大変だと思って・・・!!」

 と叫んだ所で限界が来て、ばたりとベッド倒れこむ。発熱の上に蛮特製ドリンクの尋常ならざる匂いと味で余計気分が悪くなった。

「馬鹿!何やってるんだてめぇは」

 いいながら毛布をかけてくれて、落ちていたタオルを再び冷やして額に乗せてくれた。

「ほら、もう寝ろよ。俺がずっと傍にいてやるから」

 心配げな瞳に優しい口調。安心して閉じた瞼の上にそっと手をおかれる。熱に浮かされた体にひんやりとした手がとても心地よい。
 そっと手を乗せられた瞼の裏に浮かぶのは、目を閉じる前に見た心配げな紫電の瞳。
 自分を気遣う眼差しをさまざまと思い浮かべると、溢れるような幸福を感じる。
 嬉しくて思わず、腕を伸ばして捕まえようとする。


 ずっと自分をその目で見ていて欲しい。


 ずっと傍にいて欲しい。


 掴んで目を開く。





 

 そこには紫の瞳を閉じた血まみれの男の体があった。





 気がつけば自分はベットの上にいない。


 ポタポタと緋色の液を、その手のすきまから垂らしながら佇んでいる。

 もう永遠に動くことは無い男。


 その緋の生暖かさ。


 ああ、そうか


 自分が



 殺したんだ。



 




 カンッ!!






 水筒を落とした。



 「!!」


 はっと我に返る。景色は一転し、見慣れたキッチンに戻る。

 洗い場のヘリを掴みながら、荒く息をつく。
 額から落ちた汗が、床に広がった水筒の中身と混ざる。
 熱は下がったはずなのに、再び強い寒気が襲ってくる。

 今の景色。
 自分が殺した蛮の、いつも着ているシャツが血に紅く染まっている光景が、生々しくフラッシュバックする。

 私が蛮を殺す。

 この手で。


  蛮を殺してしまう・・・!

 「・・・っ!!殺さない!!私は殺さないっ!!絶対!だからこそ、あたしは・・・」

 

 『まだそんなにも愛しているのに?』

 

 忌まわしい声。


 卑弥呼は愕然と、その場に立ち尽くした。